真珠湾まで道のり (日清戦争編)
12月7日は日本がアメリカの真珠湾を攻撃した日ということで、今回は真珠湾攻撃について考えてみたい思い描き始めたのですが、私は歴史、特に明治から大東亜戦争までがぐちゃぐちゃで全く整理できておらず、調べてもあまり理解できませんでした。ということで、今までの歴史を自分の中で整理する作業から入っていきたいと思います。まずは日清戦争まで遡っていきたいと思います。(真珠湾までたどり着くのに何回かに分けてかきます。)
日本はなぜ侵攻したのか
戦争を始めるのには必ず何か理由があるはずです。それを探っていくためにまずはざっくりと日本の立場を遡りながら考えてみたいと思います。
まず、外国を実際にみてきた明治政府は、他国との技術レベルの差に驚きました。当時、白人が植民地を拡大していた時代ですので、日本の植民地化を防ぐため、国力、軍事力をもつことが必要でした。そのために行われた政策が、富国強兵、地租改正、殖産興業でした。そしてこの時代、植民地にされないためには、どこかを植民地にして領土を広げる必要がありました。そこで日本は朝鮮へ侵攻したのです。当時東南アジアはイギリス、オランダ、フランス、ポルトガル、アメリカが支配していました。(白人国家)日本はこの国たちと対等になりたかったのです。対等にならなければ植民地にされるからです。
朝鮮の生い立ち
日清戦争について調べて行くに連れて、大切になってくるのが朝鮮です。つまり朝鮮が当時どんな国だったのか知らなければ日清戦争はわからないと思い少し調べました。
1392年に李成桂が朝鮮王国を建国します。(日本でいう南北朝時代、金閣寺、足利義満)
そしてハングル文字が作られます。
1600年に豊臣秀吉が朝鮮に兵を送りますが失敗。これを期に朝鮮は日本へを警戒するようになります。その後、満州人も朝鮮へ2度侵攻し、朝鮮を属国としました。
その後、鎖国しました。清は主従関係にある朝鮮への介入を深めていきます。清の介入に反発し、近代化するため開国したいと思っていた金玉均が、日本の援助を得て起こしたのが甲申事変です。これは結局真により鎮圧されました。朝鮮政府は国をまとめる力がなく問題があるたびに清に助けを求めていたのです。国力がない上に、日本と清に挟まれた朝鮮はどちらにも反抗することができなかったのです。
日清戦争
話を日本に戻します。日本は当時植民地を持っていたロシアなどの強国が、朝鮮に侵攻するのを恐れていました。隣の国がやられたら次は自分ですからね。そこでなんとか朝鮮を手に入れたいと、思っていた矢先に、1894年に朝鮮で東学党の乱(甲午農民戦争)がおき、朝鮮政府は対応できず清に助けを求めました。これ以上、清と朝鮮の関係が強くなるのは、朝鮮が欲しい日本にとってやめて欲しい。そこで、1885年に伊藤博文と李鴻章が結んだ天津条約にある、日本の公使館を守るという口実で出兵します。結構無理やりです。それで清軍と日本軍が対面する形になり、どんぱち始まったらしいです。朝鮮からしたらたまったもんじゃないですね。
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